えちかワークスの幸せな未来とコンセプトを作る話

これからの幸せな未来と仕事の話をしよう。

7年間通い続けた事、取り組んだこと、そして、思うことと願い

どーも、越川です。

昨日(2017年12月16日)は、一日京都におりまして、月に一度の人生勉強、お師匠様にご指導いただく日でした。

2010年から、7年間ご指導いただいて*1満願を迎える日でありました。

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・・・とは言うものの、まったく最後感がないまま部屋におりましたが、お師匠様からの

「7年間よく頑張った。大人になって、7年間続けられる事はなかなかないので自信を持ってよろしい」

というお言葉をいただいて、嗚呼7年たって今日が満願7年、最後の授業か・・とシミジミしました。

7年間、いろんな事がありまして。

自分は、少し遅れて入ったので「出来上がった場所へ入るのは、ちょっとしんどいな」と思っていて、めっちゃ気を張ってたのがよくなかったのか、当時から残っているメンバーに後から

「おまえ、印象最悪やったぞ(意訳)」

ってフィードバックもらったんですよね。

それより半年前の自分なら、さもありなんって思ってたけど(実際、長いつきあいの友人には、かなり良くなったと言われはじめた時期だった)、いやー、初めての人にはまだまだ、印象悪かったのねー。

と、今なら笑ってられるんだけど、そのフィードバックは、正直痛かったよね。

だって自分がさ、これ以上ないってほどのたうちまわって、ようやく変わって来た矢先に

「全然いけてへんで」

って言われるとさ、振り出しに戻った感じがするじゃない。

今までの頑張りが否定された気がするじゃない。

でも、そうじゃないよね。

みんなは、それまでの努力は知らなくて、まさに今この瞬間の「自分」を見てそう感じたんだから、それが正しい感覚じゃないですか。

でも、否定された気持ちになってしまったら、↑みたいには考えられないし、自己否定ループに陥いりそうになるよね。

その人たちに、自分はこんなに頑張ってきた!って主張したところで、自分だけが努力してきたわけじゃないじゃない。

みんな頑張ってるねん。努力してるねん。

だから、自分も人間力をのばす為に、鍛えるために頑張ってこれたと思う。

自分一人では到達できなかったし、7年間一緒に生き残って頑張って来た仲間がいてこその、今の自分があると思っています。

目的は違うかもしれないけれど、おなじ師匠から学びを得られる仲間がいるというのは、ただただ感謝しかありません。

だって、どんだけの確率で出会うのよ。

ねぇ?

そう考えると、たまたまのご縁で一緒になった人、お客様、その瞬間の出会いの確率はおそろしく少いもののはず。

一つひとつの出会いに深い感謝を忘れないようにしたいです。

そうそう、この日は同期一人一人がシェアで、7年間の思いを話をしたんですが、ほんまにみんな話が上手くなってて、思い出話だったり、感謝の言葉だったりが、すんなり入って来ました。

身内びいきかもしれないんだけど、やっぱり7年間もがき続けてきた仲間の声は、どんな話でも心地よく耳に入ってきます。

そのなかにあって、自分はまだまだ、人の心が動くような存在ではないし、言葉の使いかたではないなぁと、ある意味成長のなさを感じ、ある意味「伸びしろ」に期待もしてみたり。

こう言うのって、どれだけ自分とむきあって、自分にオッケーを出して来たか、とか、人の言葉や振舞を見て、自分の事として取り組んで来たかっていう深さが大切だと思います。

結局、自分と向きあう事は自分の痛みと向きあうことなんですよね。

触れたら痛い記憶が蘇える体験と、とことん向き合えるか。

まえに、昔話として、いじめにあってた話を書きましたが*2*3、あれ、自分なりにむきあって結論がでて、過去の自分やその体験から恨みにも似た感情を持っていた自分と和解したから書けたと思うんですよね。

痛いままだったら、書けなかった。

人生を変えたかったら、自分を変えたかったら、まず自分から逃げない事だと思う。

それは、誰か他の人や環境や状況のせいにしない事。

大変な事かもしないけれど、人の手を借りても、最後に自分を救えるのは自分だけしかいないから、どうか自分自身から目をそむけないで欲しいのです。

自分で自分の手を離してしまったら、もうひっぱりあげる人は残っていないのだから。

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