えちかワークスのブログ(仮)

6ヶ月で女神になる基礎をつくるコーチングを研究してセッションしています。夢や希望、望んでいる生き方を可能にするコーチング。

失敗したりうまくいかなかった事を「無かったこと」にしたい病

どーも、越川です。

とある人物を批判している人がいます。

その批判はどうにも、ズレているし言い掛かりのようなものだな、と私は感じました。

私もその人物から学んだことがあります。

そして、その批判している人も、その学びの恩恵を(ビジネス的にも)受けているはずです。

しかし、なぜ批判の対象としているのか。

その学びは無駄だみたいな事を言うのか。


その人物から学んだ事が時間が経過したことによって、古くなってしまったり、今の自分とあわなくなってしまったり、のちの学びでその学びを選択したことは間違いだったと気がついたのかもしれません。

それはそれで、(ミスった自分を)受け入れて、次の学びや目の前の事をやればいいじゃないですか。

なんでまた、わざわざ批判する必要があるのか。。。


やっちまったなーって過去は誰しもあるもので、それをどうとらえて昇華してるかってのが、このことを考えるキーとなりそうです。

もしも、選択をミスった自分をダメなものだと捉えていて、今後の自分のキャリアにそんな黒歴史は不要だと思っていたら、どうでしょうか。


この場合だと、自分は正しいという事を表現するために、自分に有利なように事実を歪曲したりしても、自分の正しさや正当性、権威性を保とうとするのではないでしょうか。

たとえ、その批判中で論理破綻やダブルスタンダードがまぎれていたとしてもです。


あくまで、これは僕の思考による妄想でしかありませんが、自分にあてはめてみたときに、思いあたることはないでしょうか。

わたしたちは、どういうわけか「失敗してはいけない」という強迫観念に縛られていることが多いです(例外の人も当然います)。

そうすると、失敗した、ミスったって事を受け入れがたい出来事ととらえてしまって「無かったこと」にしてしまいたいのです。

で、批判して、どうだ、私はただしいだろうとドヤ顔をしたくなる。


なもんで、どうするかっていうと

  • 「ああ、あの選択は失敗した」
  • 「あの学びは古くなってしまった」
  • 「自分には上手く行かなかった」

などなど、うまくいかなかったことや失敗したことを、認めてしまえば終了します。

うまくいったいかなかったに関わらず、選んだのは自分自身です。

こればっかりはごまかしようが無い。

そこをごまかしてしまうから、どうにも自分を正しくみせたくてしかたがなくなるわけです。


今日のまとめ

失敗してもしなくても、自分が選んだ結果。
選択と結果に責任を取れば、正しさをみせつけるために、批判したり悪口を言わなくてすむ。


9月のえちかワークスのお茶会予定。

新月と満月のしんどいのをやわらげる遠隔セッション

新月と満月のしんどいのんをやわらげるセッション・お申込みフォーム