えちかワークスのブログ(仮)

6ヶ月で女神になる基礎をつくるコーチングを研究してセッションしています。夢や希望、望んでいる生き方を可能にするコーチング。

ジャッジをやめるで苦しんでいる人がとるべき「たったひとつ」の態度

どうもー、越川です。

ジャッジをやめようってありますよね。

あれ、めっちゃしんどいと思うんですけど、

どうなんでしょう?

ジャッジをやめるで苦しんでいる人がとるべき「たったひとつ」の態度

f:id:toshihiro25:20170630002525p:plain

優劣・できるできない・あれが良い悪い

などなどなど。

それをやめて、ただ出来事や事象をみようと。

うっかりすると苦しくなるだけじゃね?

これって、自分の価値観や過去の

膨大に蓄積された体験を参照する反応を

やめようぜって事なので、

そうとう厳しいことを言っている気が

しないでもないなーって思うんですね。

事象にたいして、反応せずに

その出来事をうけとめられたら、

ものすごい楽だとは思うんだけど、

今度はジャッジした自分はダメなんだ・・・

ってまたジャッジしてしまって、

「ああああああ」

ってなるのは、本末転倒じゃないですか。

ただ、やっぱりジャッジしないっていうのは、

たしかに生きづらさが減るのは間違いないです。

おきらくにジャッジしないする方法



じゃー、このジャッジしないを、

なるたけ気軽にできるようにするには・・・

と考えると

「なにもしない」

が、一つの到達点じゃないかなーって

思うんですよね。

そもそも反応するのは仕方がない



なにかを見たり聞いたりして、

反応するじゃないですか、

わたしたちは。

で、その反応したことを、

これはいい事だの悪いことだの、

ネガティブだのって「ジャッジ」して

苦しくなってる。

だから、この反応したらしたでいい。

それを良い悪いって判断しない・・・

なにもしない。

っていうのが、自分を苦しめない

「ジャッジ」しない、

じゃないかな。

そう思ったのかー。

そういう反応をしてるのかー。

そうかー。

って。

上級者向けなのは出来なくてあたりまえ

ジャッジしないって言うのを、

最初の反応をしない

にしてしまうと自分の生理的反応を

超越するって事やから、

かなり上級者向けなんだよね。

うっかりすると、自己否定に

つながったりしないかなーって

思うんですよ。

「しょーがない」と「せやな」

反応してしまうのは「しょーがない」から、

そのまま「せやなー」って言うて

認めてあげたらええんですよ。

いちいち「ラベル」を貼るから

ややこしくなるだけで。

私はそう言うふうに

  • 「思った」
  • 「反応した」

のはしょうがない。

それでええよね。

反応そのものを何とかする・・・その前に



とは言うものの、自分を良くするために、

「反応」そのものを何とかしたい

そうじゃないですか?

そういう時は、反応している自分を

「そういうもんだ」

って受け取るところから始めると

スムーズです。

自分で自分に反発すんのはしんどいで?



反応している自分を認めてないのに、

それが嫌だから変えたい!なんとかせな!

ってなったら、自分自身が反発するよね。

自分以外の誰かとの事を考えてみても、

それは、わかるじゃないですか。

だから、ジャッジしないために

「なにもしない」

を使って、自分自身の反応をちゃんと

「わかってあげる」

って事が大切なんですね。